商品説明森田無絃に儒学を学ぶ晩年は盲目の幕末戦前の徳島県草書家都郷鐸堂角太郎別号に屈伸園蠖堂肉筆書の掛軸です蠖堂書の下に朱文の都郷角印白文の蠖堂の落款印が押されている書の内容中 支払いに他の当事者との契約または合意が含まれる場合、ユーザーは支払いを行う前に相手方との契約条件を確認することをお勧めします。
■■■商品説明■■■
森田無絃に儒学を学ぶ・晩年は盲目の幕末~戦前の徳島県草書家 都郷鐸堂(角太郎/別号に屈伸園蠖堂)肉筆書の掛軸です。
「蠖堂書」の下に、朱文の「都郷角印」、白文の「蠖堂」の落款印が押されている。
書の内容
中国で超有名な唐詩
唐時代詩人賈島作『尋隱者不遇』
「尋隱者不遇」 賈島
松下問童子
言師採薬去
只在此山中
雲深不知處
読み:
隠者を尋ねて遇わず
松下 童子に問うに
言う「師は薬を採りに去けり」と。
只だ此の山中に在らん
雲深くして処を知らず
現代語訳:
松の木下で童子に尋ねると、
童子は言った。
「先生は薬を採りに行かれました」
この山中にいらっしゃるのだろう。
雲が深くて行方はとてもわからないが。
【ご参考】
都郷蠖堂 (つごう かくどう)
安政5年2月27日(新暦 1858年4月10日)生~昭和19年(1944)5月23日歿
幕末・明治・昭和の書家。儒学者。教育者。
都郷辰蔵の長男として阿波国美馬郡一宇村伊良原(現 徳島県つるぎ町)に生まれる。名は角太郎、号は蠖堂のち鐸堂。
7歳のときに宮内安芸に入門し、懐素の書を好んで学んだ。15歳から2年あまり田辺籠仙に書を学び屈伸園蠖堂の号を受ける。名東県師範学校卒業後、小学校訓導となったが、23歳で和歌山に渡り、明治15年(1882)、和歌山県の森田無絃の塾で儒学を学んだ。31歳で再び徳島県に帰郷し、明治42年(1909年)52歳で退職するまで小学校長等を務めた。以後、往年の研鑽によって独自の書論を唱え『筆道革新歌』『草訣百韻歌刪修』『大正草字鑑』『ひらかな運筆法』、『運筆七則』、『字徳学全』、『日米親善論』等の著書が有る。54歳頃より視力が衰え始め、後に歩行困難となったが、子や養女に手を引かれ全国各地を遊説した。晩年にかけて、目が不自由になりながらも書作を続け、特に草書の作品を数多く書き残している。
<状態>
経年の汚れ、シミ、シワがございます。(写真参照)
状態は画像でご判断お願い致します。
商品は画像のもので全てです。
こちらは中古品になりますので、充分ご理解のうえご購入よろしくお願いします。
■■■サイズ(実測)■■■
本体:長約197cm 幅約43cm
カテゴリー:
ホビー・楽器・アート##美術品・アンティーク・コレクション##書
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